© 2018 Hiroshi Niiyama
田中一村の肖像(昭和34年頃の撮影) 家庭を持たず生涯絵に打ち込んだ人生であった
====== 主な代表作 ======
© 2018 Hiroshi Niiyama
「ビロウとアカショウピン」昭和37(1962)年
亜熱帯の植生と景観に魅せられた一村は独自の花鳥画を描いていった。 「日本のゴーギャン」とも呼ばれ近年再評価の著しい画家である。
© 2018 Hiroshi Niiyama
「不喰芋と蘇鉄」昭和49(1974)年頃
全てに妥協を拒絶し続けた一村晩年の大作。
大胆な構図と深い色調に目を奪われる。南国特有の魅惑的な植物の先には洋上の岩が描かれている。
奄美ではこの岩を「立神(たちがみ)」と称し自然信仰の対象として崇めている。
一村は知人へ宛てた手紙に「これは私の命を削った絵で閻魔大王への土産品なのでございます」と並々ならない心情を記していた。
一村生存中は世人に知られることも無かったこの作品であったが、時を経た現在、フランス・パリで開催の「ジャポニスム2018」において世界へ向けて披露されるに至った。
「ジャポニスム2018」は日本政府が我が国の文化・芸術をグローバルな視点から紹介する過去最大級の祭典。日本を代表する作品の一つとして「不喰芋と蘇鉄」は海を渡った。
© 2018 Hiroshi Niiyama
「アダンの海辺」昭和44(1969)年
熱帯地域の海岸に生息し、夏になると甘い香りの実をつける阿檀(アダン)。この魅惑的な存在がダイナミックに画面中央へ放たれている。
水平線にかけて描かれた砂と波には圧倒されるほど緻密に筆が入れられた。この作品に対する深甚な思いを一村自身は次のように書き残している。
「何故無落款で置いたのか それは絵に全精力を費し果して わずか五秒とはかゝらぬサインをする気力さえなく やがて気力の充実した時にと思いながら今日になってしまった次第なのです」
テレビ東京『なんでも鑑定団』で鑑定された田中一村の作品、果たしてその鑑定額は?
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