「無宗教」を標榜する日本人
もしも「あなたが信仰している宗教は何ですか?」と聞かれた時、即答できる日本人はどれ位いるでしょうか。あれこれ思案した結果「無宗教です」と答えてしまう人が結構いるような気がします。一神教の信者が多い外国人とは異なり、日本人が自身の宗教について語ろうとすると「はて?お墓参りは欠かさないけれど、神社の御守りも大切に持っているし、そもそも結婚式をチャペルで挙げた私って・・」などと、多様な宗教との関りを思い起こして言葉に窮してしまうかもしれません。
次に掲げるように、統計数理研究所が行った「日本人の国民性調査」(2013年)のデータには日本人が抱いている宗教観の不思議が現れています。
「宗教を信じるか」の問いに対して「信じている」は28%、「信じていない」は72%。一方、「宗教心は大切か」と質問したところ「大切」と答えたのは66%、「大切でない」は21%の結果となりました。つまり"
自分は宗教を信じないけれど宗教心を持つことは大切だ "と、一見矛盾するような認識を持つ人々が多くいるということです。
続いて「あの世」の存在の有無についての質問には、「どちらとも決めかねる」と肯定も否定もしない群が一定数(19%)いながらも、「あの世はある」とする人(40%)が「あの世はない」とする人(33%)を上回っています。
更に「先祖を尊ぶか」の問いに対しては「尊ばない」が11%、「尊ぶ」が65%と大きな差になっており、現代においても篤く祖先を崇拝し続ける日本人の姿が浮かび上がってきました。(因みに、尊ぶレベルを「普通」と回答する群が22%存在している点も注目に値します)
ところで、宗教心を持つことを良しとしたり、宗教と密接に関わる「あの世」や先祖の存在を肯定しているにも拘らず、宗教と距離を置きがちな日本人の態度はどう解釈すべきでしょうか。この件について宗教学者の弓山達也氏が次のように述べています。
「宗教を信じていますか」と聞かれると、「特定の教団に入信して特定の神なり仏なり教祖なりを信じているか」と捉えてしまい、そうなると宗教を信じていないことになる。言い換えれば教団に所属しているという帰属意識は低い。
(「現代日本の宗教」『現代日本の宗教社会学』所収、1994年、世界思想社)
例えばキリスト教でいう洗礼のような、宗教への厳格な入信儀式を経験する日本人はごく少数となります。要は信仰のスタートも明瞭でなく、オンリーワンの信仰では収まりきれない日本人特有の宗教観は、自身と宗教との関係性を混沌とさせてしまうきらいがあります。
また近年世間を騒がせている旧統一教会の問題や、かつてのオウム真理教事件から「宗教は怖いもの」と認識され、反射的に宗教を忌避してしまう日本人は少なくありません。
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元旦の初詣で人の波を作る参詣者。この一週間前には市中や家庭でクリスマスイベントに触れていたことだろう。日本人は風俗・習慣となってしまった宗教へは、教義に深い関心を寄せることなく寛大にこれを受容する。キリスト教会式の結婚式が人気ナンバーワンとなるのもその証左。
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繋いできた豊かな宗教心
周知の通り我が国には宗教を核とした年中行事が沢山あります。初詣やお盆・お彼岸、節分や七夕、七五三に大晦日など。行事を通して心が浄化されたり、温かな思いに浸ることができます。
また宗教を源とする習慣や良俗が生活に溢れていることも日本社会の特性と言えるでしょう。例えばトイレにも神様がいたり、米一粒には七人の神様が宿るとされたりして、宗教的精神性が身近な存在となっています。
ところが先述したように「宗教」の言葉自体は日本人の耳に特別な響きをもたらします。この件を説明するにあたり、宗教学者の
阿満利麿氏は、宗教を「自然宗教」と「創唱宗教」に分けて考察することが有効であると説きます。
「自然宗教」はいつ、誰によって始められたかもわからない自然発生的な宗教のこと。教祖や経典、教団もなく祖霊信仰や精霊信仰がこれに該当。無意識に先祖たちによって受け継がれ、今に続いてきた。いわばご先祖を大切にする気持ちや村の鎮守に対する敬虔な心がその本質。初詣やお盆、彼岸等の年中行事は有力な教化手段となっている。
一方、「創唱宗教」は特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人々がいる宗教のこと。教祖と経典、教団が三位一体で成り立っている。代表的な例はキリスト教や仏教、イスラム教であり、いわゆる新興宗教もその類に属する。
多くの日本人にとって空気のようになっている自然宗教を「宗教」と認識することは難しい。だが自然宗教は優勢であり、お盆や初詣が身近で盛んであるのは、日本人が自然宗教の信者である証拠といえる。
(『日本人はなぜ無宗教なのか』1996年、筑摩書房より要約引用)
言うまでもなく創唱宗教を篤く信仰し、生きる価値を見出してゆくことは非常に尊く大切なことです。ただ多くの日本人は、「教義を深く究める域まではちょっと自信が無い。でもこれまでのように、お盆や折々のお墓参り、法要や初詣を通して精神の安定を求めてゆきたい」と考えつつ、先祖や親が実践してきた宗教行事へ誠実に向き合うのではないでしょうか。
整然とした教義体系を尊ぶ一神教信者からすると、日本は随分と不明瞭な宗教観に包まれているものだと思うかもしれません。しかしながら空気のような宗教を体感できる日本人こそ宗教心が豊かであると言えるでしょう。その曖昧でゆるい宗教が日本人に適合し、社会へ安定と秩序をもたらしていたこともまた事実です。
無意識となるほど浸透している宗教的慣習を改めて見つめてみると、優しく穏やかで繊細な国民性が誇らしく思えてくるかもしれません。
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各種世論調査によると、お墓参りを習慣としている日本人の割合は非常に多く、先祖を尊ぶ意識も高い。対して「先祖を尊ばない」とする人は全体の1割にとどまる。家庭内で年々歳々の行事を繰り返すことで無意識に日本人ならではの穏やで尊い心性が涵養(かんよう)されてゆく。
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