美作国(現在の岡山県東北部)の押領使※、漆間時国の一人息子として出生。
勢至菩薩のように賢く聡明に育ってほしいとの願いから勢至丸と名付けられた。
9才の時、土地争いから時国が夜襲を受けて深手を負ってしまう。
枕元に呼ばれた勢至丸は父親から「敵討ちは決して行わないこと。怨みを持たず、今後は出家をして誰もが平等に救われてゆく道を求めてほしい」との遺言を授けられた。
決意を固めた勢至丸は、悲嘆にくれる母親と別れ、菩提寺の院主に引き取られる。
ここで天賦の才が明らかとなり、比叡山での勉学を勧められ、より一層仏教に深く身を投じる。
13才の時、将来の大成を期されながら最高学府の延暦寺へ登って行った。
※押領使:地方の治安維持にあたる職。主に在地豪族が任命された。現代でいう地方警察のような役割。
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