寛政四歳壬子孟冬(1792年)建立
結城郡八千代町東大山の大聖寺前。当社先祖、宮田治良右衛門が製作した宝篋印塔は、地域の人々に守られ、ここに今なお端麗な姿を見せています。総高さ一丈、安山岩(小松石)でつくられたこの塔には、はっきりと「寛政四歳壬子孟冬吉祥日建」との彫刻があり、実に二百年前に建立されたものであることがわかります。もちろん当時には今日のような石材用機械はあるはずもなく、石の加工から字彫り、施工に至るまですべて手作業で仕事にあたらねばなりませんでした。いにしえの石塔を訪ねるたびごとに、先人の労が偲ばれます。 ましてこの塔へは、細字に至るまで一文字一文字丹念に彫刻が施され、風雨にさらされながら二百年を経た現在でもはっきりと読むことができます。また均整のとれた形は幾多の地震を経験してもくるいは無く、建立当時そのままの姿を残しています。これらは治良右衛門の卓越した技量の高さを物語る証であると言えるでしょう。さらに塔の台石には彼の刻銘が刻まれてあり、仕事に対する誇りと責任が示されています。 この刻銘と共に、当時の店の所在地が「本宅女方村出店桐瀬村」と彫られています。どちらも鬼怒川近くに位置する土地で、現在は下館市女方、下妻市桐ヶ瀬となっています。河川を利用した水上交通が物質流通の動脈であった時代には、石材も川の流れに乗って運ばれていました。したがって、石屋が店を構える場所も必然的に河川近くが選ばれました。当社の現在地である結城にもこの時やはり店が存在していましたから、治良右衛門は多くの場所で確とした働きをしていたわけです。 時代は移り石材業界の機械化が進んだ現在では、仕事の方法も大きく様変りしました。しかし私どもの仕事に対する姿勢は、腕一本で誠実に石に向かい合っていた時代と何ら変わりありません。お客様へ提供させて頂く石塔一基ごとに「宮田石材商会」の刻銘が刻まれるのは、末永いお付き合いを約束する「品質保障証」であることはもちろんのこと、創業以来三百年にわたり先人達が守ってきた暖簾を堅く受け継ぐことでもあるのです。 |
宝篋印塔 「宝篋印陀羅尼経」をおさめる塔。その祖型は中国の呉越王銭公俶が鋳造した金銅製の八万四千塔とされる。この若干は日本に伝来、日本では平安末期からつくられ、鎌倉中期からは墓碑、追善塔に転化した。石造が多く、木、金、銅製は少ない。古代のものと中世のものとで差異があるが、後者にあっては方形塔の蓋上に数段の階段があり、その四すみにインド風耳形突起を設けているのを特色とする。 |
寛政四歳壬子孟冬(1792年)建立
結城郡八千代町東大山の大聖寺前。当社先祖、宮田治良右衛門が製作した宝篋印塔は、地域の人々に守られ、ここに今なお端麗な姿を見せています。総高さ一丈、安山岩(小松石)でつくられたこの塔には、はっきりと「寛政四歳壬子孟冬吉祥日建」との彫刻があり、実に二百年前に建立されたものであることがわかります。もちろん当時には今日のような石材用機械はあるはずもなく、石の加工から字彫り、施工に至るまですべて手作業で仕事にあたらねばなりませんでした。いにしえの石塔を訪ねるたびごとに、先人の労が偲ばれます。 ましてこの塔へは、細字に至るまで一文字一文字丹念に彫刻が施され、風雨にさらされながら二百年を経た現在でもはっきりと読むことができます。また均整のとれた形は幾多の地震を経験してもくるいは無く、建立当時そのままの姿を残しています。これらは治良右衛門の卓越した技量の高さを物語る証であると言えるでしょう。さらに塔の台石には彼の刻銘が刻まれてあり、仕事に対する誇りと責任が示されています。 この刻銘と共に、当時の店の所在地が「本宅女方村出店桐瀬村」と彫られています。どちらも鬼怒川近くに位置する土地で、現在は下館市女方、下妻市桐ヶ瀬となっています。河川を利用した水上交通が物質流通の動脈であった時代には、石材も川の流れに乗って運ばれていました。したがって、石屋が店を構える場所も必然的に河川近くが選ばれました。当社の現在地である結城にもこの時やはり店が存在していましたから、治良右衛門は多くの場所で確とした働きをしていたわけです。 時代は移り石材業界の機械化が進んだ現在では、仕事の方法も大きく様変りしました。しかし私どもの仕事に対する姿勢は、腕一本で誠実に石に向かい合っていた時代と何ら変わりありません。お客様へ提供させて頂く石塔一基ごとに「宮田石材商会」の刻銘が刻まれるのは、末永いお付き合いを約束する「品質保障証」であることはもちろんのこと、創業以来三百年にわたり先人達が守ってきた暖簾を堅く受け継ぐことでもあるのです。 |
宝篋印塔 「宝篋印陀羅尼経」をおさめる塔。その祖型は中国の呉越王銭公俶が鋳造した金銅製の八万四千塔とされる。この若干は日本に伝来、日本では平安末期からつくられ、鎌倉中期からは墓碑、追善塔に転化した。石造が多く、木、金、銅製は少ない。古代のものと中世のものとで差異があるが、後者にあっては方形塔の蓋上に数段の階段があり、その四すみにインド風耳形突起を設けているのを特色とする。 |