松江藩松平家の菩提寺月照寺には、2mの高さに首をもたげた巨大な亀の石像があります。
今に残る奇妙な伝説によると…
江戸の昔、この大亀は夜な夜な城下で暴れて人を喰らっていたという。時の住職が背中へ大きな石碑を建てて妖力を封じ込め、現在の姿になった、とのことです。
この怪談は小泉八雲の随筆にも登場します。市の観光協会では怪談スポットを歩くツアーを開催して、怪談を文化資源として有効に活用しているそうです。
実はこの亀の背中に石碑が載ったスタイルは、ここに限ったことではありません。江戸時代に中国から伝わった建立様式で、台座の部分を「
亀趺」と称し日本各地で散見されます。
「水戸の黄門さま」として有名な徳川光圀の寿蔵碑も亀趺の上へ建立されています。(寿蔵とは生前に自身の墓を作っておくこと)
亀趺の本家中国では、宮殿や寺院に建っている碑の台座は大概亀の姿に彫られています。有名処としては西安の「碑林」や、孔子の出身地である山東省曲阜の「孔子廟」には世評にも高い巨石を背負って、様々な表情を浮かべている亀がたくさんいます。
ところでこの亀趺の仕事を担っている亀、本当は普通の亀ではないのです。人知を超えた能力を持つ霊獣なのです。明代の古書 『
升庵外集※』によると、名前を「
贔屓」といって龍の子供達9匹のうちの第一子であるとされています。
「贔屓」は凄まじい怪力の持ち主で重いものを背負うことを得意としていました。それで大きな石碑を支えることが彼の仕事となったというわけなのです。
もとより太古の中国の神話においても、怪力を有した霊亀が登場しています。人間が暮らす大地は大きな亀の背中に載っていて、亀が移動するにつれて太陽が昇って朝が来たり、西に沈んで夜になったりする、と考えられていました。その亀へ対する畏敬の念と神秘性が相まって、やがて石碑の台石=亀趺として霊獣「贔屓」が彫り上げられることになったのでしょう。
私たちの会話の中で「ひいきする」とか「ひいき筋」「ひいき目」などの言葉が交わされますが、その語源は霊獣「贔屓」が「他人の為に大きな力を発揮する」ことから解釈が広がって「自分の気に入ったものに対して肩入れし、優遇する」との意味に変化してきたものです。
今度この亀趺と接する機会がありましたら、立派に任務を果たしている霊獣「贔屓」の頭を撫でて念じて下さい。長寿の霊験あらたかと言われています。
※『楊慎著『升庵外集』国立国会図書館蔵(「龍生九子」の記載あり)』
茨城県常陸太田市の瑞龍山にある 徳川光圀の墓 (公益財団法人徳川ミュージアムHPより画像転載)
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本名・贔屓。世間でよく耳にする「ひいき」の語源。
亀に似ているが、ホントは霊力を持ったモンスター、霊獣。
龍の子供たち9匹の中の長男で、とっても力持ち。
その能力を亀趺(石碑の台座)となって発揮する。
中国では大昔から、日本では江戸時代から各地で活躍中(*^^)v
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茨城県常陸太田市の瑞龍山にある 徳川光圀の墓 (公益財団法人徳川ミュージアムHPより画像転載)
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本名・贔屓。世間でよく耳にする「ひいき」の語源。
亀に似ているが、ホントは霊力を持ったモンスター、霊獣。
龍の子供たち9匹の中の長男で、とっても力持ち。
その能力を亀趺(石碑の台座)となって発揮する。
中国では大昔から、日本では江戸時代から各地で活躍中(*^^)v
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