1990年2月、私が手に取ったその本の帯には、簡明な内容紹介文が記されていました。
日本の火葬では遺族が遺体に火葬まで付き添い、火葬終了後は遺族が焼骨の拾集にあたる。きわめて日本的現象である。ヨーロッパの火葬はそうではない。
墓棺は葬式用チャペルに置き去りで、あとの処理はすべて職員にまかされる。
この本は
『火葬の文化』とのタイトルで、西洋史学者の鯖田豊之氏(京都府立医科大学名誉教授)によって著わされました。
内容は葬制文化の一つ、火葬を切り口としてヨーロッパの日常的な生き方、物の考え方、またその奥に潜む感情・思念を
抉り出し、しかも詳細に現場を観察の上解説している名著です。
読み始めますと、日本人の常識からは思いもよらない火葬習慣がヨーロッパには存在することを知らされます。
例えば、ヨーロッパにおいては、火葬の際には、一般会葬者はもちろん遺族でさえも立ち合いをせず、葬儀後棺をチャペルに置いたまま家路についてしまう。
又、火葬炉には入口の他に焼骨の取り出し口が奥にあり、日本のように遺体と最後の別れをした炉の前へ焼骨が現れることはない。職員だけで淡々と作業は進められていく。
日本人が経験している「箸渡し」に類する対面儀式は一切なく、焼骨となった姿を確認する機会さえ持たない、とのことです。
死生観や宗教観の違い、長年の慣習によって、遺骨に対する観念は全く異なってくるものです。
なおひとつ付言しますと、復活思想を教義の中心に据えるキリスト教圏においては、これまで土葬が主な葬法でした。
近年になって火葬が増えてきた傾向があります。主な国々の火葬率は、2014年の調査によると、イギリス75%・ドイツ55%・フランス35%・イタリア20%となっています。
因みに日本では火葬率99.97%。葬法=火葬とする共通認識が日本人には根付いています。
さらに本文中には、おやっと思う印象的な記述が写真と共にありました。ドイツのハンブルク市における墓地状況を紹介する章です。
そこには遺骨が火葬場から目的地の墓地へ、日常的に郵便で送られてくるということが書かれています。
火葬後の遺族による拾骨はないので、ドイツのほかの火葬場と同じく、州外からの場合は骨つぼは書留小包郵便で当該墓地管理者に送付される。
「取り扱い注意!!骨つぼ」と大書された紙辺が添付してある。
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『火葬の文化』(1990年、新潮社刊)掲載、ドイツの遺骨小包の写真。20年ほど前の日本では、遺骨の郵送など思いもよらないことであった。
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『火葬の文化』(1990年、新潮社刊)掲載、ドイツの遺骨小包の写真。20年ほど前の日本では、遺骨の郵送など思いもよらないことであった。
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火葬後の遺族による拾骨はないので、ドイツのほかの火葬場と同じく、州外からの場合は骨つぼは書留小包郵便で当該墓地管理者に送付される。
「取り扱い注意!!骨つぼ」と大書された紙辺が添付してある。
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この遺骨の郵送事実を鯖田教授は
「日本人には想像もできない光景であろう」と驚きの感情を活字にしています。
この文章に当時の私も「こんなことをやろうにも、日本では不可能であるし、とにかく思ってもみない行動だな。」と感じていました。
ところがここ数年メディアから「ゆうパックを利用した新たな弔いのスタイル」との触れ込みで「送骨」の話題が発信されるようになりました。
これは宅配便を使って遺骨を寺院へ送り、永代供養を依頼する行為です。さすがに日本にはそぐわないこととして、批判が多くあるそうです。
経済性と合理性ばかりを優先すると、世の中はゆがんで来てしまうでしょう。
目に見えないものをも大切にする心がほしいところです。
「日本の葬送も遂にここまで来たか」との感を抱きつつ、二十数年前の名著を再読しています。
思えば、最も保守的で変化しにくいと言われている葬法が、我が国でこの二十数年の間に驚くほどの変化を見せているのは何故なのでしょうか。
次の機会に考えてみたいと思います。
つづく