最近の墓所には、墓石の他に板石状の墓誌を脇に建てる形式が増えています。そこで、今回は墓誌についての概説とエピソードなどを少し書いてみました。 墓誌は、やはり中国が発祥の地です。漢の時代には既にあったといわれていますが、現在実在し、見られるものは普代の墓誌二基(282年頃)があり、これが最古のものだそうです。 本来墓誌は地表には建てず、棺と一緒に地下に納めるものでした。地下の ところで、碑や墓石は地上に建てますが、なぜ墓誌は地下に納められたのでしょうか。地表では長い年月の間に壊れたり、埋没や異動の危惧が生じます。その点地下の壙中は安全です。後世、万一思わぬ出来事で墓所が明らかになったとき、壙中の墓誌銘が役に立つのです。即ちその墓誌銘を読めばその人の子孫も分かるでしょうし、世間には立派な人物の墓であることを知らせることも出来ます。立派な人物の墓と分かれば、大切に保存もされるでしょう。 こんな話も残っています。中国は書を重んじるお国柄なので、立派な書の墓誌であれば、大切に扱われるのは必然です。そこで、なかには大枚のお金を支払ってでも当代一流の書家に墓誌銘を書いてもらったというのです。 ところが、この様な古人の周到な配慮にも関わらず、事態は思わぬ方向に展開してしまいました。墓泥棒、即ち盗掘です。土中にあって完全に保存されており、かつその書には良いものが多いということで、これを学ぶ者が多くなり、古代の墓誌は高値で売買されるようになったのです。その結果、盗掘が増えて、墓が荒らされるという困った事態になってしまいました。中国政府は躍起となってその防止にあたっているそうです。 次に、墓誌にまつわる近年のエピソードを一つご紹介しましょう。 墓誌発見で千三百年ぶりに脚光を浴びた悲劇の遣唐留学生 2004年中国西安市で建設工事中の現場から上部が一部欠損した一枚の小さな墓誌が発見されました。その内容を読んだ専門家達は多いに驚きました。そこには中国名を 「 |
つづく |
●墓誌原文 |
贈尚衣奉御井公墓誌文并序 公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能 ■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶 ■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終 ■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月 ■日乃終于官弟春秋卅六皇上 ■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官 ■卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水 ■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠 ■兮頹暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰 ■乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶 歸于故サク |
■は、判読できない文字。 |
●訓読文 贈、尚衣奉御、井公墓誌文、并序。 公、姓は井、字は眞成、國號は日本。才は天縱に稱ひ、故に能く命を遠邦に■、騁を上國に馳せり。禮樂を蹈み、衣冠を襲ひ、束帶して朝に■、與に儔び難し。豈に圖らんや、學に強めて倦まず、道を聞くこと未だ終へずして、■移舟に遇ひ、隙奔駟に逢へり。開元廿二年正月■日を以て、乃ち官弟に終へり。春秋卅六。 皇上■傷して、追崇するに典有り。詔して、尚衣奉御を贈り、葬むるに官をして■せしめ、卽ち其の年の二月四日を以て、萬年縣滻水■原に窆るは禮なり。 嗚呼、素車は曉に引きて丹旐哀を行ふ。遠■を嗟きて暮日に頹れ、窮郊に指びて夜臺に悲しむ。 其の辭に曰く「乃の天の常を■、茲の遠方なるを哀しむ。形は旣に異土に埋むるとも、魂は故サクに歸らんことを庶ふ。」と。 ●抄訳 姓は井、字(あざな)は真成。国は日本と号す。生まれつき優秀で、国命で遠くにやってきて、一生懸命努力した。学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。 ところが思わぬことに、急に病気になり、開元22年(734年)の1月に官舎で亡くなった。36歳だった。 皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない 。 参考文献:Wikipedia『井真成 - 墓誌 原文』を引用 |