文豪のお墓参りレポート
JR池袋駅東口より南東へ歩くこと15分余り。都営雑司ヶ谷霊園に進み入ると、あたりは都心とは思えない程の静寂さと木々に包まれます
区画位置、1種14号1側3番。ここに文豪夏目漱石(本名金之助)と妻鏡子(同キヨ)の眠る石塔が建立されています。初めてお参りする人は先ずその大きさに驚き、次に
恰も一人掛けソファーのような独特な形状に目を引き付けられます。
この石塔を設計したのは漱石の義弟で、西洋建築の分野で活躍した鈴木禎次でした《人物深掘@参照》。ただ実のところ建立当時(大正六年)は、斬新すぎるデザインであった為に評判が芳しくありませんでした。建墓の経緯を鏡子は次のように語っています。
「妹婿の鈴木が建築師であるのをさいわい、すっかり設計をまかせてしまいました。なんでも、西洋の墓でもなし、日本の墓でもない。たとえば安楽椅子にでもかけたといった形の墓をこしらえようというので、まかせきりしておきますと、できあがったのが、今のお墓でございます」
(夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思ひ出』昭和4年)
この言葉は周囲からの声を意識しての発言と思われますが、現在の目線からすると非常に荘厳で大胆且つ高貴なデザインであり、時代を先取りしていた石塔であると言えるでしょう。
正面には
「文獻院古道漱石居士」、
「圓明院清操淨鏡大姉」と夫婦の戒名が並んで彫られています。これは漱石の親友であるドイツ語学者の菅虎雄が
揮毫しました《人物深掘A参照》。石塔の裏面に回ってみると「大正五年十二月九日歿 俗名夏目金之助」、「昭和三十八年四月十八日歿 俗名夏目キヨ」との文字が目に留まります。
漱石は四十九才の若さでこの世を去りますが、生前は重い
胃潰瘍や糖尿病の他、心の病にも長年悩ませられていました。それゆえ妻子へ厳しく当たることが度々あり(実は暴力も)、周囲が離縁を勧める時期さえありましたが、鏡子は自分こそが病気の夫を支える存在である
との強い信念を持ち続け、終生寄り添いました。漱石・鏡子の結婚生活は二十年。鏡子三十九才の時の別れですから、夫婦でいられた時間はあまりにも短すぎました。しかしながら深い部分での二人く、短くとも濃密な日々の暮らしであったことは間違いありません。
鏡子は晩年、孫娘に次のように語っていたそうです。
「いろんな男の人をみてきたけど、
あたしゃお父様が一番いいねぇ」
(漱石の長女筆子の四女、半藤末利子記)
雌雄一体となり空を舞う霊鳥 〜比翼塚の語源〜
漱石夫妻が眠っているような夫婦専有の墓や石塔は、賛辞を呈して
比翼塚と呼ばれます
比翼とは「比翼の鳥」のことを指し、「
翼を
比べる」と書き下されます。
この鳥は古代中国発祥の伝説上の霊獣で、目が一つ、翼も一枚のみ。地上にいる時は一羽で歩きますが、いざ空を飛ぶときはオスとメスが合体し、心を一にして助け合いながら大空を舞うものとされています。
中国、東晋の学者郭璞(西暦276〜324)は中国最古の字書『爾雅』へ「比翼の鳥はマガモに似て青赤色。一目一翼にて相得て乃ち飛ぶ。」との注釈を加えています。
二羽が一緒になって初めて飛翔できるという契り深い鳥、「比翼の鳥」。
太古から伝承されてきた想像上の生物であるが、現代人の胸にも 響く物語性を有する。
唐の時代に至ると白居易(西暦772〜846)が長編漢詩『
長恨歌』のクライマックスへこの鳥を登場させました。同じく男女の親密さを意味する「
連理の枝」
※ と対を成して詠み、故事成句「比翼連理」の典拠となります。高等学校の授業でも触れられることがある漢文の一節を次に掲げましょう。
※別々の木の枝が繋がって一本になった様子。仲睦まじいことの譬え
在天願作比翼鳥 天に在りては願はくは比翼の鳥と作り
在地願為連理枝 地に在りては願はくは連理の枝と為らんと
在天願作比翼鳥 天に在りては願はくは比翼の鳥と作り
在地願為連理枝 地に在りては願はくは連理の枝と為らんと
一方、日本の古典や近現代の小説においても比翼の鳥は相思相愛の象徴として描写されてきました。
また最近では、歌の題名や詩の中で飛翔する姿に触れることもあります。更に時にはアニメのキャラクターに仕立てられるなど、そのロマンチックな物語に感化された若者達によって伝説の鳥は継承・発展を遂げています。
さて、比翼の鳥をイメージしながら今一度漱石のお墓に参り出てみます。
弧を描くように彫られた夫婦戒名は、さながら二人並んで空を仰ぎ見るかのよう。夫婦で共有した時間と心情が文字通りこの石塔へ深く彫り込まれました。また、生きた証とも言うべき当所へは多くの人々が心を寄せてきます。皆畏敬の念をもって文豪と対面していますが、仲睦まじき夫婦の墓=比翼塚の視点から線香を手向けると、著書からは感じ得ない一人間らしい漱石の姿が、煙の隙間から見えてくるような気がします。
国内最高峰の庵治石細目にて
建立された 比翼塚
令和二年 栃木県さくら市に竣工
施工は当社です
国内最高峰の庵治石細目にて
建立された 比翼塚
令和二年 栃木県さくら市に竣工
施工は当社です