東京、谷中・日暮里地内へ建立のお客様 町筋に祈りの雰囲気が漂う谷中・日暮里界隈。この地で明治期以来の墓所改修に臨まられたお客様からお手紙を頂戴しました。 |
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伝統と格式を保ちつつも、新しい時代の風がそよぐお墓が竣工しました。 お施主様はお墓造りを通してご先祖様との絆を深められていらっしゃいます。 |
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お墓造りは、家を建てる時と同じように…お墓を建てる人にとっては、資金だけでは無く、決心というか覚悟(きっかけ)が必要になることは今も昔も変わらない。要するに、資金があったとしても覚悟がいるので、何となく先送りしたくなってしまう。
そんな私の気持ちを察してか?打合せの最中に(資)宮田石材商会の宮田専務に言われた言葉が、とても心に響きました。
宮田専務「お客様は、たぶん御先祖様に指名されたのですよ。」
私 「そうかなぁ…もしそうだとすると光栄ですが?」 宮田専務「その勤めをしっかりと果たさねばならないですね。」
宮田専務
こんなやり取りから私のお墓造りはスタートしました。「お客様は、たぶん御先祖様に指名されたのですよ。」 私 「そうかなぁ…もしそうだとすると光栄ですが?」 宮田専務 「その勤めをしっかりと果たさねばならないですね。」 しかしながら、墓誌を刻むにあたって、問題が発生しました。亡くなった両親は、昔の事はあまり話したがらなかったこともあり、私は、自分の祖先が東京のどこに住みどこから来たか、家系を全く知らなかったのです。 お墓のデザインや施工は、宮田石材商会にお任せすればいいのですが…自分のルーツは、自分で調べる他に手がありません。まるで「NHKのファミリーヒストリー」の様相になってきました。 東京の区役所で戸籍調べから発展して、当時の地図(江戸〜明治)を求めて図書館にも出向きました。江戸時代から明治期の地図を持って、当時先祖の住んでいた界隈を訪れて…そして、その昔にご先祖様が歩いたであろう川の土手や坂を、およそ130年後にひ孫が歩いている…まるで「NHKのブラタモリ」ですね。 汗をかきながら真夏の東京に何度か足を運び、次第に霧が晴れるように祖先の姿が浮かび上がってくる…まさにご先祖様との対話に苦労が報われる感じが致しました事をよく覚えています。 こうして、(資)宮田石材商会にお墓造りを依頼してから、設計〜施工〜完成〜開眼式まで、およそ1年の月日が経ちました。 個性的そして斬新なデザインで、新しさの中にも伝統的な踏襲もある…そんな我が家のお墓が出来上がりました。寺の中に数ある墓石の中でも、その品格と存在感のある出来栄えに私は大変満足しております。 今では、これで「御先祖様との約束(指名)が果たせた」と安堵しています。また、江戸期(幕末)から明治維新ごろの東京に住んでいた祖先の謎も判明して家系図も完成し、墓誌も彫みました。先祖も「良くやった」と彼岸から眺めている事でしょう。 私にとって、今回のお墓づくりは御先祖様と対話する貴重な経験になりました。 また、(資)宮田石材商会宮田専務との「良いご縁」があった事に感謝しつつ筆を置きます。ありがとうございました。 |
ロケーション |
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施工地周辺の状況です。当該地域内の寺院様らしく、伝統的な和型石塔がほとんどを占めています。 |
施工前の様子 |
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中央が明治期に建立の石塔。小型ですが御先祖の思いが込められたお墓です。現在に至るまで大切に守られてきました。 |
採寸 |
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当方の設計・現場監理者が慎重に採寸を行いました。敷地と周囲の状況を把握すると同時に、常に理想の完成図をイメージするよう努めています。 |